比叡山三大地獄行(回峰地獄・掃除地獄・看経地獄)


回峰行

 天智天皇の御代に、仙人が苦行した地を相応和尚が不動明王顕現の浄土であるとして明王堂を建立されました。
 これが無動寺の起源です。
 無動寺谷を開いた相応和尚は、十五才で比叡山に登って出家した後、慈覚大師(円仁)の弟子に推挙されました。
 その後、山中に静寂な地を求め歩き、比叡山南渓で草庵を結び、苦行の日々を送られました。
 その間に法華経の中に説かれている常不軽菩薩の但行礼拝と山林抖 (さんりんとそう)とを組み合わせ、全山諸仏堂を巡拝する行を始められ、これが回峰行の始まりです。
 そのお姿を不動明王にかたどり檜笠を頭に戴き、右手に檜扇を左手に念球・腰に剣、そして草履をはき山道三十キロメートルを午前一時に出峰、経廻って全山の堂塔・伽藍・霊跡・旧跡をくまなく礼拝し、花を供え読経して歩く。
 これを七百日続け、満ずると回峰行発祥の地、明王堂に籠って、九日間の断食、断水、断眠、不臥の死の行に入ります。
 その後千日に至るまで、山上山下三十キロメートルと京都市中大回りを続け、満行すると京都御所へ土足で参内し玉体加持を修します。
籠山行(ろうざんぎょう)
 開祖伝教大師(最澄)をおまつりしている浄土院を「御廟」と称しています。
 その御廟・浄土院では、大師が今も尚御在世と拝して、洗面・食事など一切を生前と同じようにお仕えします。
 給仕する役を「侍真」といゝ、籠る僧を「籠山比丘」といゝ、この行を籠山行といいます。
 この籠山行に入るにはまず戒壇院で「好相行(こうそうぎょう)」という難行を完遂し、自誓受戒しなければなりません。
 好相行とは、額・両肘・両膝を畳にこすりつけ礼拝(五体投地)し、一礼ごとに、香を焚き、華を散らし、鐘を打つこと毎日三千回休みなく続ける行です。
 そして「仏の姿(好相)を感得した」として認められ籠山行に入ります。
 侍真は十二年もの間、浄土院の中から出ずに午前三時に起床して、読経・献膳・五体投地・仏教研究・境内掃除を続けます。
 広い庭にほこりひとつ残さず、一切の殺生を禁じ、食事は献膳のおさがりの「一汁一菜」です。
 山中に暦日はありません。
 極限の中に身を置く行者は、完全に俗世から離脱します。
 決して、一朝一夕の出来事ではありません。
 回峰行者でさえこの行はきびしいと言わしめる難行です。
看経行(かんきんぎょう)

 横川の看経に入るとき今でも里坊の僧は「出家する」といいます。
 この間家族と改めて訣別します。
 朝から晩まで、明けても暮れても経を読む。
 「座して動くな」「経を読む声を絶やすな」というのです。
 午前二時には起床したいていの僧は水をかぶります。
 四時には修法に入り法華懺法をくり返し、くり返しあげます。
 朝座・日中座・夕座、読経三昧の日々です。